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高木敏克のブログです。


by alpaca

六甲

六甲

耳鳴りのする高度で

ヒルクライマーたちが蝶々を追っている

雷雲が追ってくる

山肌を包むように


包囲しようとして

包囲されていたのだ

たしかに

山は鳴っている


解放区なんて

包囲されている証拠だ

斜面は海に突っ込んでいる

どこに行こうというのか

これから


山頂はメビウスの輪

サンセットは

サンライズに裏返る

雲上は列島


雲海の雷鳴は重低音

裏返る瞬間に

雷雲につかまったら

山上のゲームは

ホワイトアウトだ

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# by glykeria | 2024-03-16 08:17 | | Trackback | Comments(0)

海の音

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 灰色の海からは無数の光の針が首を出し、何かの恨みでもはらすかのように踊り回っていた。雲が空を覆っていた。風の中で耳は鳴り続けていた。光は風に吹き飛ばされたみたいで、何処にもなかった。海岸線は塩分の強い重い霧を巻き上げていた。その中を自転車乗りの僕は鮮やかなネオン・イエローのウィンド・ブレーカーを旗のように鳴らしながら走り抜けていった。その斜め後ろから一羽の海鳥が彼を追っていった。

 鳥は、白くもなく黒くもなく、影のように薄く、彼の右肩上空に止まっているように見えた。だが、時速は軽く60キロは越えていたはずだ。自転車は追い風に乗っていた。海鳥は自転車の巻風に乗っていた。海は超低音に満ちていた。その音は、海底から自転車に伝わり、彼の骨を震わせてから耳を震わせていた。自転車乗りの僕は今日も風切りの術を試すため、一人自転車を走らせていた。

 風景は次から次へと現れた。世界の全てを身体で感じることは不可能かも知れないが、こうしていると、全ての感覚で世界を感じることが出来る。すると世界はシュミレーション・ゲームのように開いてゆくのだ。

 自転車は現実の世界を走っているとは思えなかった。ただ、あるのかないのか解らない茫漠とした風景の中を走っていた。スピードを上げてゆくと風景はチューブ状になっていった。風景が現実のものなのかどうなのか、もう確かめようがないように思えた。確かなものは風だけだ。触れることのできるのは風だけだった。聞こえてくるのは耳を切る風の音だけだった。風景は見る前にどんどん消えていった。だからそこに残るのは現実ではなく、単なる残像としてのイマジネーションであり、残像は流れるチューブにしか見えなかった。

 ジリジリと鳴り続ける自転車のディレラーの音は何とも言えない快感であった。脚力はこの時間の快感によって鍛えられたのだ。今はもう快感に任せて漕ぎまくるだけだった。彼のペタリングは完全な円運動で、例えペダルがなくても力のベクトルは円軌道から反れることがなかった。

 切迫した海峡には時間の風が吹いていた。風は風景をことごとく無視するかのように空に舞い上げていた。時間以外に確かなものは何も存在しなかった。

 確かな風景というものは存在しなかった。総ての風景は記憶にすぎなかった。風景は単なる記憶の断片なのだ。だから風に舞う軽さだ。

 時間の風の流れる海峡にはさらに超低音が満ちていて、風は古代から休まずに吹いていて、様々な光景を上空高く舞い上げていた。





# by glykeria | 2024-03-12 14:56 | 小説 | Trackback | Comments(0)

女性ドライバー

東淡路島の由良港から南淡路の吹き上げ浜に抜ける猿ガ峡には猿が出るそうだ。吹き上げ浜には絶えず潮が吹き上げて、慣れないドライバーには危険だといわれていた。

あれは、日曜日の深夜、新しい女友だちは明日は月曜なので寝不足になるから後ろの座席でぐっすり眠りたいと言い出したので、真っ暗な峠を越えて有料道路の入口まで、眠気をこらえてのドライブとなった。

夏草が道を狭くし、おまけに峠を覆う雑木の小枝は夏の間にすっかり道を覆い、殆どビームを付けっぱなしの運転となった。

対向車もハイライトで接近して、中にはライトを落とさない暴走車も有った。

なるほど聞いていた下り坂は山砂も散らばりスリップしそうな危険な綴れ織だった。

その難所が終わるところが最も危険なのだ。

やっと平地についたと思った途端に、それがT字路であることに気付く。それからは漁船の光しか見えない闇の中を蛇行しながら遠近法のない闇の中のドライブとなった。

蛇行が激しくなるこんな悪路では誰でもは酔いはじめる。後の席の女友達は既に酔っている。

「ごめんなさい。ねえ、ごめんなさい」と小さなかすれ声で俺を呼び始めた。

「もう少し待って。こんな道に慌てて止めたら危険だよ。どこか、ちゃんとした止めるとこ探すから」

「ねえ、おなかはもう撫でてくれないの。撫でてくれたら治ると思う」

風を入れるために助手席の窓をあけた。

風がヒューヒュー鳴って、ルーフ・キャリアが風の歌を歌い始めた。随分と悲しい歌だった。

僕は運転席のウィンドウも開けて、ついでにサンルーフのウィンドウも全開にして夜風の中を走った。速いのは車なのか風なのかわからなくなってきた。

直線道路になったところで後の座席から首にしがみつく彼女の両腕が生暖かい。

バックミラーに見えるのは酔いから覚めた彼女の顔で、まるで生首だ。

マフラーで首を絞められるような柔らかい彼女の腕に産毛が立っている!

自分の罪をバックミラーに見つけて飛び掛ってきたらしい。

「わたしなのよ!この子のお母さんをひき殺したのは」

その昔のある年の秋口の今頃、女性ドライバーが子ずれの母猿を轢き殺し、自分も磯辺の岩場に激突して死亡したらしい。その事故の話は同業の保険代理店を訪ねた時に創業者の彼の爺さんから聞いたのだ。老人はとんでもないアル中で昼間から吞んでいて、「警察署にも飲み仲間がいるからお互い様なんだ」と話をはじめたのだ。こちらはというと保険業の経費でガソリン代も食事代もホテル代も出るので新しい彼女と何回目かのドライブしているのだ。先ほどの爺さんの昔話によると、どうも子猿だけが生き残ったらしい。ところが、猿は成長すると亡くなった女性と同じ顔になったらしい。そして、今頃になって生首がバックミラーからこちらに飛び出して当時の事故を再現しようとしているわけだ。

実際にはバックミラーではなく、その上のサンルーフから母猿の生首が飛び込んできた訳だが、飛び起きた彼女の全身の産毛が波立つのも当然といえば当然の話だ。

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# by glykeria | 2024-03-12 08:33 | 小説 | Trackback | Comments(0)

メイカップ

メイカップをする君は、

実は世界を塗り替えようとしている。

鏡の中を明るいパステルで塗っているのは、

真っ暗な瞳孔の中から世界を塗り尽くそうとする

もう一人の君だけれど、

君自身はその暗闇の中から描かれた

一つの夢なのかもしれない。

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# by glykeria | 2024-03-11 22:29 | | Trackback | Comments(0)

      暗室の天窓から見える風景

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ゆるやかな風は海岸線を白く消しさるように吹いた。カラフルなロードレーサーの一列が消えかけた海岸線を引きなおすように走っていった。そこは須磨海岸の塩屋に差し掛かるあたり、海岸線は海峡と崖に挟まれて、風の通り道になっていた。最後のロードレーサーは風のように軽く振りむいて崖の上を見た。

そのあたりは地軸が少し傾いていて自転車は微妙に揺れていた。そのことは感受性の強い自転車乗りが良く感じることができた。崖の横では磁場ができていて、そう感じるのかもしれない。その傾き具合を確かめるためには崖の上に登って海峡の海を見下ろしてみればよい。海面も少し傾いて見えるのが分かるはずだ。

さらに大阪湾に目を移して、太平洋に抜ける紀伊水道に広がる水平線を見ると遠くの船は傾いた海から水平線に消えてゆく。その手前では逆光を浴びた無数の船が黒い影になって銀色の海に浮かんでいる。それもしばらくの間だ。夜になると海は消えてゆき、すべての船は闇に浮かぶ船になるだろう。

 白い砂がアスファルトの割れ目から吹き出していた。赤くて葉の厚い海岸植物が地上のあちこちに茂っていた。砂から照り返した逆光で葉は血の色をしていた。

JR塩屋駅から国道に出て東にしばらく行くと山陽電鉄の小さな踏切がある。このあたり、海岸には山が切迫していて並行するJRと山陽電鉄が国道2号線に折り重なるようにして走っている。見上げると崖に張り付くように洋風の家が点在しているが、そこには綴れ織りの坂道しか通じていない。JRをまたぐ小さな踏切はその坂道に通じている。風変わりで不便な住宅を建てるのは何種類かの特殊な職業の人間に限られている。神戸市内に店舗に自動車で通勤できる経営者、働かなくても良い資産家、そして僕の祖父のようにめったに帰宅しない船乗りなどである。

僕は風の強いその崖の上の家に生まれた。そこに住んでいると何も感じないが、はじめてそこに来る人はこんな風にいった。

「丘の上の家だと思って車で来ましたが、あの坂道は普通の坂じゃない。あの車の馬力じゃとても登れませんよ。今度からは登山靴をはいて電車で来ますよ」

 僕の家系は海洋民族であると同時に山岳民族であるような、恐らくは瀬戸内を支配していた水軍である。祖母や母の軽々と坂道を歩くさまからは山賊か海賊としか思えないような足腰の強さが感じられた。当然、僕も足腰の強い体躯を引き継いだスポーツマンタイプだ。人を寄せ付けない山賊か海賊の住処に住んで僕は満足していた。

崖の上に家を建てた祖父の顔を僕は写真でしか見たことがない。その顔はまつ毛が長く目はなんだかアイシャドウをつけたみたいだ。しかも鼻の下に八の字のひげを生やしていた。僕が会えなかったのは祖父が船乗りで海難事故で死んだからだ。僕はしきりに祖父のことを父に聞いてみた。

「お父さんだっておじいさんにはほとんどあったことがない。おじいさんは船乗りだからほとんど家に帰ってきたことがない」

父は慰めるつもりでそう言ったのだと思うが、ほとんど会ったことがない存在をあたかも半神でもあるように語った。一度も会ったことのない僕にとっては神そのものの存在だった。

僕の父も船会社に勤めていたが、丘に上がっても海を見ていた。海峡を渡る船を堅い表紙のノートに記録し、時には写真を撮っていた。それが仕事なのか、趣味なのか僕には分らなかった。一つ言えることは、祖父は神に近い存在だが、母の言っていた通り父は丘に上がったカッパにすぎない身近な存在だった。

僕の家系には船乗りの血が流れているのだと思う。家で死んだ男はいない。すべての男は水平線のはるかかなたで死んだ。残された女性たちは華道茶道の教室を開いたり、和楽器の教室を開いたりして、生計を立てているように見えたが、実は船乗りは意外と金を残すもので、それは生きているより死んだほうがよく残るのだと祖母から聞いたことがある。それを言った時の祖母の笑顔はいまだに忘れることができない。僕の中に女性不信というものがあるとしたら、恐らくその笑顔が原因だ。

崖の上の僕の家には屋根裏部屋があり、その部屋は少年時代の僕にとってはちょっとした自慢だった。

その部屋は祖父が写真の現像のために使う暗室でもあったが、小さな天文台でもあった。やってきた友達はその部屋のことを海賊の部屋みたいだと言ったが、本当に海賊だったら良いのになあと当時の僕は思っていた。

というのも、屋根裏部屋には小さな天窓があり、そこから天体望遠鏡で闇夜の中に星を探すこともできた。友達はそれを大砲を海に向かって打つための窓だろうと勝手にいっていた。僕は否定も肯定もしないでいた。人がいろいろ想像する様子はたまらなく好きだからだ・

そのことを父に話したら、父は笑いながら言った。

「天窓から大砲を撃ったら、爆風でこの家は粉々になって消えてしまう。物事には作用と反作用というものがある。物事は必ず反対側からも見てから判断しなければならない」

                       

その部屋に僕が入るにあたっては、母親からは次のような掟が言い渡されていた。

まず、決して友達を入れないこと。第二の掟は天窓を決して触ってはならないということ。これは安全上の問題だ。僕はこの部屋で何度か怪我をしているし、ガラスを割ったことがある。第三の掟は夜になると暗室の電気は消さなくてはならないということ。。

 すでに最初の掟は破られていた。何度か友達を連れ込んで昼間から天体望遠鏡をのぞきこんでいたが、青空しか見えない望遠鏡は役に立たなかった。窓のない暗室からは海の風景も見えなかった。空に向かって大砲を撃ち、それがうまく明石海峡を移動している敵艦に命中するという妄想を友達とするしかなかった。

友達が天窓より何よりも興味を示したのは、祖父がヨーロッパから持ち帰ったヌード写真集であり、確かにそれは星を見るより勉強になった。

 第二の掟も破られていた。何としても天窓から外に出たい僕は天窓のガラスをスライドさせる方法を知っていた。ガラスは分厚くて、たとえ海鳥がそこにぶち当たったとしてもビクともしないことは分かっていた。もし、第二の掟と第三の掟を同時に破ったらどうなるかは、そのときには想像できなかった。

まだ破られたことのない第三の掟は望遠鏡のための掟だと思っていた。暗くしないと星が見えにくいからだ。しかし、夜に天体観測するためにはその部屋に入らなければならない。でも、明かりも点けずにどのようにして部屋の中に入れるのか。しかも、その真っ暗な闇の中でどのようにして写真の現像や焼き付けができるのか、その後も解けない謎のままだった。

「おかあちゃん。電気消したら、誰がいるのかわらへんし、何もできへんやんか」

「おじいちゃんはねえ。電気をつけたらいなくなるのよ。真っ暗だったら、そこにいるということなの」

「なんで、いるってわかるん。どうやって確かめるん」

祖父というのはインド航路の船員で、あちこちで買い求めたガラクタをその部屋に隠していたのだ。

夜になると、祖父は闇の中から現われて、そこで生きることも死ぬことも出来ずに今でも暗闇で作業をしているのかもしれない。

しかし、明るいうちに祖父のいない部屋に忍び込むのは、外で遊ぶより楽しい探検であった。秘密があるからだ。

中に入ると天窓から光が降ってきて長い時間をためていた。まず、僕を出迎えたのは真っ白なオウムの剥製で、今にも大声を出しそうなクチバシが少し開いていた。剥製は大きな木箱の上に於いてあったが、その木箱の中にその剥製が入っていたということだ。もしそうだとしたら、大きすぎる。もっと大きな剥製が入っていたのかもしれないと思った。

「おかあちゃん、これはおじいちゃんの棺桶と違うの」

と聞いたら、母がひどい声で、気が狂った九官鳥のように怒った。

それ以来、その大きな箱は謎の塊だった

次に現れるのは動物園にはいない大きな角をもった鹿だか山羊だかわからない動物の首から上の剥製で頭の毛が禿げかけていた。

部屋の壁の前には他にも大きな木箱が積み上げられていたが、最初に興味をひかれるのは重くて動きそうにもない二つの本棚だった。  

本棚のガラス戸を開くと、白い粉になったほこりがゆっくりと漂いはじめ、宇宙の星くずに見えた。

本棚の奥にはハッセルブラッドのカメラが隠れていた。それがまた神秘のかたまりであった。それが出てくると屋根裏部屋全体の時間を支配し始めた。そのカメラの暗箱にも天窓があり、天窓に風景が映る仕組みになっていた。そこには左右が逆になった不思議な風景が現れた。

「この風景は本当の風景だろうか、それとも、スリガラスに映るだけの影絵だろうか」

と僕は父に聞いたことがある。父の回答は単純だった。

「すりガラスの裏から覗いている風景だと思えば、本当の風景だけど、すりガラスに映っている風景だと思えば嘘の世界だよ」

それから僕は半透明で裏から覗ける鏡について考えた。表から鏡に映った姿を見る人は虚像を見ているが、裏から覗いている人は実像を見ているのだろうか。両方とも実像だということもできるし、両方とも虚像だということができる。つまり、世界は実像だと言えると同時に虚像ともいえる。生きることは実体だということもできるが虚体だということもできる。つまり、人間は生きているということもできるが死んでいるということもできる。僕はそう思い始めていた。実体はすぐに消えるが虚体は時間を得て生き続ける。それがカメラというものだ。つまりカメラは死なない虚体を作り出す器械なのだ。

そう思いながら、僕はカメラを触り続けた。そして、今も同じカメラを手に取ることができる。その部屋は今も何も変わっていない。

本棚の下のほうには引き出しがあり、そこには古いライカ・カメラが横たわっていた。古い年代のバルナック・カメラでレンズがスクリュウ式で脱着できるものであった。

カメラが横たわっている横には厚紙の箱があり、その中にはリバーサルフィルムがスライドにマウントされた形で詰まっていた。

僕はそのスライド・フィルムを1枚ずつ天窓に翳して眺めた。さらにその下には硝子板が数十枚重なっていて、天窓に翳すと古い銀板写真のネガであった。

暗転した世界が広がっていたが、どの銀板も家族や親戚の記念写真らしいが誰が誰なのかはさっぱり分からなかった。

やがて、時を忘れると時間は甦る。時計を見ると時間止まる。カメラは宇宙全体の時間を支配し始めて、夜の闇がやってくる。

本棚の上にはスライド映写機が少し顔をのぞかせていたが。子供にはそれを引き下ろすことは不可能だった。本棚の中からは何やら横文字の本やら袋やらが出てきた。僕は様々な箱とともにその袋を片っ端に開いては中から出てきたものを元に戻す作業に明け暮れていた。母はそんな僕の姿を見て空き巣泥棒だといった。確かに、と僕は思った。

その様子を肩ごしにずっと見つめている視線があった。背後のオウムは羽が乾き切っていたが、そのクチバシだけがペン先のように濡れているように見え、その字を書いたのはわたしだよ!と今にも叫びそうな顔をしていた。箱にも袋にも見慣れぬ横文字が書かれていてその歪んだ姿はおじいちゃんの揺れる魂そのものに思えた。

「嘘をつくとあなたもこんなオウムになってしまうのよ」と僕は母から言い聞かされていた。なんでも、母には嘘つきの弟がいて、嘘をついたのでオウムになっただけではなくて、このようなはく製にされたということだった。

「おかあさん。誰がお母さんの弟をはく製にしたん?」

「おじいちゃんに決まっているでしょ」

「おかあさんも、いつかオウムになってはく製になればいい」

といったら、母は何も答えなかった。これでお母が嘘をついていることが分かった。

僕がびくびくしていたのは母親の呼び声ではなく、この嘘つきオウムの叫び声だった。その声は夢の中で何度も聴こえた。

「あなたも変わった人ねえ。普通のアルバム写真が横にあるというのに、そんなネガフィルムを見続けるなんて」

しかし、僕にはネガフィルムのほうが神秘的な存在であった。僕が初めてカメラのことを理解し始めたのはもちろんその部屋だ。今でもその部屋で見つけた50年前のカメラ雑誌の一部分を切り抜いて持っている。意味がわかるようになるまで持っているのだが、今だによくわかっていない。

「ニエプスが写真術を試みたのを受けて、ダゲールは暗箱カメラに映った像を固定 (化学的再生) する方法を発達させました。1839年、ヨウ化銀と光の反応を知って、ダゲールはヨウ化銀を塗った銅板あるいは銀板の上に銀粒子による像を固定することに成功しました。感光したヨウ化銀は水銀の蒸気をふれさせる事によって現像され、この銀分子の像をチオ硫酸ナトリウムで固定する方法を完成したのです。ダゲールはこの方法を「タゲレオタイプ」と名付けましたがこれが現在の写真術の最初のものとなったのです。」

 ネガフィルムを日光写真で焼き付けると最高の品質の写真になり、小学校の友達にそれを見せつけることができた。さらに本棚の引き出しを発掘していると、袋に入った無数のガラス板が出てきたが、それはまさに日光写真にはうってつけの大きさであり、何枚も外に持ち出すことが僕の仕事でもあった。それを母に見つからないように持ち出してはならないことは三つの掟には多分入っていなかった。

事件の前の日も、僕は時を忘れて嘘つきインコとともに暗室で仕事をしていた。だが、天窓が真っ暗になると僕は暗室から出なければならない。僕は掟を破って電気をつけた。

すると、天窓には部屋の様子が映し出された。まず、嘘つきオウムの背中が見え始め、次にぽかんと口を開けた僕の間抜け面がこちらを見ている。「口を閉じろ」という父親の声を思い出して僕は何時も慌てて口を閉じたが、口を閉じた顔はいつも誰も見ていなかった。

暗くなると暗室の電気を消さなくてはならないというこの家の掟を破ると現れる不思議な風景だ。天窓は鏡となって部屋のすべてを映しだした。そこで、僕は床に寝そべって天窓を眺めることにした。

それは、ちょうど天窓の外から暗室の中をのぞきこんだら見える風景だ。それはおそらく天上の祖父が僕の家族を見ている風景と同じだ。そして、空の上からこの部屋を覗いている自分に感動した。僕は最後にこの世界を消すために暗室の電気を消さなければならない。僕は掟を時々破ることにした。しかし、掟というものは何らかの事故を防止するためにある。単なる規則でも事故を防止できるが、掟はさらに大きな事故を防止するためにある。事故は物語ではない。ある日突然やってくる。小説のようにではなく、俳句のようにやってくる。

その後の人生においても、掟を破るとそれまで見たことのない風景が現れることを少しずつ学んでいった。例えば、といっても人生では最も大切なことかもしれないが、僕は女性というものは男性をひどく嫌っていて逃げ回るものだと思っていた。したがって、僕は絶対に女性を愛さないという掟を自分に課していた。男性は一生のあいだ女性に愛されることはない。それは世界の法則だと思っていた。僕の母はいつも父のことを嫌いだと言っていた。嫌いだから、ずっと家に帰ってこなければよい。もし、よその家のように毎日夫が帰ってくるのなら、自分は決して結婚なんかしない。自分は毎日会わなくてよいから結婚したのだと言っていた。

祖母も同じことを言っていた。男性というものはあのオウムの剥製のようなものだとさえ祖母は言っていた。男性というものは剥製の横で黒い額縁に入り、静かに家庭を見守っているものだ。そして、男性にとっての最高の幸せは空の上から光に包まれた家庭の様子を見守ることだ。ちょうど僕が水槽の中の熱帯魚を覗きこむように。それでこそ男性は尊敬に値する。女性を追いかける男子というものは最低で最も軽蔑される存在だと思っていた。

しかし、そのような立派な少年の掟を破って女の子を追いかけて振り向かせてみると、実は女性はそういうものではないことが分かった。女性が逃げ回るのは、実は男性の気を引くためであり、女性というものは男性に捕まることを楽しみに待っていたのだ。僕はすぐに自分に課した掟を廃止することになった。しかし、女性は男性を追っかけないという掟はまだ残っているようだ。

そして、ついにあの日がやってきた。僕が掟を破るとすごい風景が現れた日だ。一瞬にして現れる事件だ。小説のようにではなく俳句のように死は訪れる。

その日は海が荒れていた。海峡を風が音を立てて流れて行った。家の下の崖に風が当たる音は怒涛とともに駆け上がってきた。僕は暗室の電気をつけたまま自分の居間に戻ってしまった。

同じような嵐の夜、祖父はカムチャッカ沖で貨物船とともに沈んだそうだ。

「お母さん、おじいさんはロシヤの機雷に当たって死んだとおばあちゃんは確か言っていたけど、それは違うみたいだよ。暗室の中の本棚の中には「新徳丸沈没の記録」という小冊子があって、それを読むとおじいさんの船は貨物を積みすぎて嵐の夜に傾いて沈没したと書いているよ」

母は「ええ、そうなの」と言っただけで、何の興味も示さなかった。

 何時の間にか僕は柔らかな羽根布団の闇の中に顔を埋め、体重を失ってしまっていた。目を開いているつもりであったが、闇しか見えず、何度も目を瞬かせて行き先を見定めようとした。だが見えてくるものと言えば、脈絡もなく浮び上がる記憶の情景ばかり。さまざまな壁紙の模様やら窓の形が現れては遠ざかり、そのまま闇に消えてゆく。

翌朝、大きな音を出した暗室に僕は入って行った。床は血だらけだった。母がいないうちに、床に散らかした本や袋を整理しなければならない。しかし、血のついたまま整理すると僕は完全な犯罪者になってしまう。嘘をついたらオウムにされてはく製になるというのは本当かもしれない。白いオウムは剥製も返り血を浴びて赤い水玉模様のヒルクライマーの僕のように見えた。

部屋の隅で白い鳥が床の上をのたうちまわっていた。二つの翼を広げたまま、何とか立ち上がろうとするが、暴れるたびに首から血が噴き出すので近づくこともできなかった。きらきらと光るガラスの破片があちこちに飛び散っていた。本棚のガラスにもぶち当たったみたいだ。見上げると、天窓から真っ青な風が吹きこんでいた。嵐のあとの青空だ。生き物は人間のようには静かに死なない。あるいは、人間もこんなに激しい姿で死ぬことがあるのだろうか。人も静かに死ぬこともできるし暴れながら死ぬこともできるのだろう。

 僕は必死になって血痕の始末を始めた。血はいたるところに飛び散っていて、家具の裏にも血のついた鳥の羽が落ち込んでいるにちがいなかった。ともかく動くものはすべて横に動かして血のついた鳥の羽を拾い集めなければならない。僕は第二の掟と第三の掟を同時に破っていたのだから。

 

僕は黙って血にまみれたガラスの破片も集め始めた。天井から残りの破片が太陽の光を集めながら落ちてきた。血に染まったものはみな危険な感覚に満ちている。僕は傷ついた鴎を抱き上げた。驚いた鴎は急に元気になって、僕の手から逃れようともがいた。鳥は意外な軽さだった。既に飛んでいる軽さだった。だから、そのまま窓の外に消えていくことには何の不思議もなかった。真っ白な羽の先から血飛沫は球になって飛んだ。だが、それは迷惑なほどには飛ばなかった。海まで落ちると鴎はすぐに動かなくなった。

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# by glykeria | 2024-03-09 21:04 | 小説 | Trackback | Comments(0)