島尾敏雄のいきちがい

島尾敏雄のいきちがい

高木敏克

島尾敏雄が最終的に奄美に移ったのは、彼が書いた小説がフィクションの作品として読まれるのではなくノンフィクションの作品として読まれはじめたからである。

大都会での生活は私生活としては大失敗かもしれないが小説家としては大成功である。その一生をかけて構築した虚構の私生活を隠し通せたことは小説家としての島尾敏雄の手柄であるが、彼には私生活の部屋の現実は狭すぎた。どんどんと私生活は浸食されて居場所はなくなってゆくからである。実に大都会は恐ろしいところである。そうなると非生活空間としての小説世界が生活空間としての家庭生活も人間関係も浸食することになる。

彼はついに現実を取り戻すために虚構以前の現実の世界に戻ることにした。それがかつての生死の現実の世界の南方諸島であろう。彼は狭苦しく空も海も山もない一部屋世界の大都会から出て空と海と山のそして人間の現実を奪還することにした。そうすることによって小説という商品に奪い取られた現実を取り戻せるからである。彼の作品は小都会の神戸で生まれたが、東京に移った生活は修羅場と化し、東京の生活は三年しか持たなかった。それは戦場を南の島から東京に変えるかもしれない。結果的には南の島の戦場と同様の行き違いの修羅場を東京でも経験できたからである。しかし、今度の修羅場は虚構の中に投げ込まれた現実である。作家は日記を読ませて現実を虚構に持ち込む。そして小説を読ませて虚構を現実に持ち込む。

もし、小都会の神戸で書き続けていたらその後の島尾敏雄は別の生き方をしたであろう。虚構と現実のバランスは保たれて小市民的な生活は続いたはずである。大都会では私生活を私小説に売り渡さなければ生活できなくなったみたいだ。島尾夫婦は共謀して私生活を悪魔に売り渡すことを決めたのである。それは、単純に私生活を私小説に書き写したのではない。私生活に見える虚構を構築したのである。その意味で彼は偉大な作家である。それでは、島尾敏雄の世界に入ってゆこう。これは半分が現実で半分が虚構なのか?100%の虚構なのか?疑問を持ちつつ、神戸時代の短編小説を少し追ってみたいと思います。

吉本隆明はその著作「島尾敏雄」の中で島尾敏雄の書く理由について<異和>だという。

作品:原っぱ<関係>の<異和>

 島尾敏雄が長崎の南山手大浦天主堂の下のCliff Houseに住んでいたころに書いた「原っぱ」という初期作品には青酸っぱい思いをかみしめるものがある。普通の少年が友達と遊んでいて、思わぬ心の行き違いに出会うことがある。これは未来の小説家でなくてもどこにでもある話である。

あこがれの少女房枝が縄跳びをしていて櫛を落とす。貫太郎は「持ってて」といわれて飛びあがるように喜んで櫛を持ち、手を洗いに帰って櫛も洗ってくると少女はすでに場所を移している。少女は櫛を洗ってもらったことなど知らずに「何してたの、貫ちゃん、嫌よ人の物を持って何処かへいっちゃ」ととがめる。遊びに慣れた少年なら「ちがうよ、房枝ちゃん。土がついてたから洗って来てたんだよ」「ありがとう、貫ちゃん」で、心の行き違いは解消されるはずである。あるいは、心の行き違いに気付かないまま通り過ぎてしまう。

吉本隆明はこの作品について、

「それにもかかわらず<関係>の<異和>はどうしようもなく少年と少女のあいだにおとずれるのだ」 という。さらに、「人間と人間の<関係>のなかで、傷つくのはいつもより多くの心をあたえたほうだ。またよりおおく<関係>の意識の強度を体験したものだ。(中略)しかし、いつまでも人間と人間の<関係>になれることができない<資質>があるとすれば、その<資質>は、つねに、そして時を経るにつれて、ますます深く傷つかなければならない」

 その<資質>とはどういうことなのか?あるいはどういうものであるのか?

貫ちゃんの場合にはこの行き違いは違和感となって何時までも残る。時の流れの中での単なる行き違いが<異和>という固定されたものとなって残り何時までも消えない、と吉本はいう。この<資質>はいうまでもなく島尾敏雄の<資質>のことである。

ここのところを<異和>というものとしてとらえるか<行き違い>ということでとらえるかは大きな分かれ道だと思える。

おそらく、吉本の評論的な視点では<異和>というものとして見えるものも、島尾の小説家的な視点では<行き違い>ということでとらえられるのではないか。評論の<異和>で終わってしまうところから小説は<行き違い>は復活させるようにおもえる。現実の行き違いが<異和>であるなら話はそこで終わってしまうが、<行き違い>はすべてのこと始まりではないのか。ギリシャ悲劇もシェイクスピア悲劇も歌舞伎の悲劇も<行き違い>から始まるのではないのか。

<異和>だけでは、どうしても理解できない島尾の作品というものがある。

「僕がどんなに人なつっこくても、貝殻たちは固く蓋を閉じてしまう。そして黒や白のいぼいぼの背中を押し並べて、残丘からその傾斜にかけて、くっついていた。貝殻の家の中の営みはそれぞれに重量を持っているであろうのに、中の灯りはみんな下の方を向かってたよりな気に幅の狭い光を投げかけていた。僕の手許にはどんな光も届いて来ない。僕は自分の居場所の位地の高さで、それだけの悲しみを食べ、涙を落した」「宿定め」1950年1月「近代文学」

この作品からは存在の<いきちがい>を感じる。ここには<異和>というものはない。異和があるから人間は悲しくなるのではなく、<いきちがい>があるから悲しいのだとおもう。感受性の違いかもしれないが、吉本は「この涙は他者にとってはどうしようもなく唐突だ。ここのところがこの作品の難解さのかなめになっている。「僕の落した涙は、ただ存在自体から<物理的>に溢れてきているとしか思えない」という。そして、「じぶんの生理的な<自然>そのものが、異変において孤独だから」と自然科学的な解釈を付け加える。私の認識では、悲しみとは<愛するものと愛されるものとのいきちがい><、生と死のいきちがい>、<書く自分と書かれる自分とのいきちがい>等々であると思われるのであるが。最後にその悲劇は書こう。

ところが、島尾の小説では<行き違い>のことの運びを<異和>の空間に読者を解き放つ一瞬がある。それは島尾の小説の罠でもあり、読者はそれまでのなめらかな日常ストーリーからストップモーションに一瞬閉じ込められてから異空間に放り出される感覚になる。


作品:石像歩きだす<偶然>の<いきちがい>

「石像歩きだす」という短編を読んでみると、荒削りではあるが一瞬閉じ込められた異空間から次の展開が見えてくる。自己分裂がはじまるのだ。しかしそれは細胞分裂のようにではなく、見る自分とみられる自分の<いきちがい>として発生する。

「それは一つの方向ばかりではなしにいちどに四方八方手がつけられぬ工会に空気が割れた。私はその瞬間身体つきを猫のように地にはわせて空を見上げた。その格好はちょうど兵隊が不慮の兆候に対して状況判断する時の物なれた格好に似ていた。それは恐怖とか善悪の実感に先立ってそんな姿勢をとる習慣をつけられていたからだ。私は自分の姿勢にも過去の匂いが強くしみ込んでいることをこげ臭く感じていた。そしてそんな姿勢の私の眼は真赤に焼けただれた空が一面に燃えているのを見た」 (中略)「私は海の方に逃げた。なぜ、海の方に逃げたのだろう。やがて私は海の上に浮かんでいた」

そこから再び平凡な日常に帰ってくる。

「今、私は身体と離れた位置に、自分の紺サージの士官服と士官服をじっと見つめている眼を持っていた。」

すると、突然知らぬ男が「いつまでそんなもの着とるんかあ」とつかみかかる。しかし、誰もが沈黙して見て見ぬふりをして通り過ぎる。

ところが、もう一人の男がハンマーを持ってやってくる。(見覚えのある男)自分がやられると思った瞬間、もう一人の男はしつこくついてきた男の頭の上にハンマーを打ちおろす。「しかし、ハンマーの男の眼は背中にもついていた」このハンマーの男の背中にも男の目が付いているということはどういうことだ。ハンマーの男は離れた位置から見つめる自分と見つめられる自分の<いきちがい>をさらに行き違う、自己分裂なのだろうか。

酒場に入り座敷に上がる。

「そこにはむやみに自分を寂しく見下げはてた自分がいた。そこへハンマーを持った男が入ってくる。警察がやってきてハンマーの男は川に逃げ射殺された。橋の上から見物客が劇を見るように手をたたいている。

「私は微熱の状態で、別のある高台のアスファルトの道を歩いていた」

やがて、私の頭は二つに割れて、「そんなことではだめだ」という自分と「そのとおりだ」という自分の自己分裂がはじまる。

この小説はすべて偶然の行き違いでできているが変にリアリティーがあり、作り話には思えない。なぜなら、総ての物語を作り話だといして偶然の行き違いが打ち砕いてゆくからだ。現実には物語なんてない。あるのは偶然と行き違いだけだ。われわれは物語よりこの偶然と行き違いのほうに現実を感じる。物語はつまりは作り話という嘘でしかない。島尾敏雄の小説はデタラメな日常を写真機のように切り取る。そしてカメラマンの真実は遠近法をぶっ潰すことだ。つまり書くことにおいても撮影することにおいても切り取るということは遠近法を覆すことだ。遠近法は空間の物語だから。

高台のアスファルトの道を歩いてゆくと、二つの頭が物質としてくっついて一つの大きな石像に変わってゆく。二つの物質の一つはツラであり、もう一つの物質はオマだということだ。そこにス(酢)の匂いがしてきて、ふたつをくっつける。石像サカノウエタムラマルは「つら・おま・す」という。この不思議な感触は何だろと思う。物語にはない、あるいは、物語に消されることのない現実感というものだろう。滑稽だがここにはある暗示が潜んでいるように思える。島尾敏雄によると妻のミホが発作に襲われる時、それは神がかり的になることかもしれないが、発作の前に彼女の顔に石の仮面のような表情がはじまり、そして爆発する。小説を読み書きする世界は彼女の治療法になるが、「石像歩きだす」を書いた島尾敏雄にも同じ素地があることがうかがえる。

作品:月下の渦潮<異和>からの<自己分裂>

現実の<行き違い>が<異和>となって行き詰まり、死の様相を帯びてくる。すると幽体離脱現象のようにもう一人の自分が現れてくる。島尾敏雄は妻ミホの中に同じ<資質>をみつけており二人は普通の夫婦関係より強烈な関係を結んでいる。その<資質>を共有する島尾敏雄も同じ病理で書くことの中で神がかりになっていく。書くことは狂うことだともいえる。

吉本隆明は評論家としてモノ的に存在するものとして<異和>を観察する。モノ的に認識する吉本の文章は流れるようには書かれていない。したがって読者は彼の文章を方程式として読むしかない。それに対して島尾敏雄の文章は軽い流れの中に読者を引き込み、大海の限りなく遠くまで読者を運び去る。海まで運ばれた読者はいきなり打ち寄せてくる海の波に出会って永遠の宇宙に解き放たれて遊泳する。まるで胎内回帰のようだ。

そのような作品に「月下の渦潮」1948年8月21日刊「近代文学」32歳時がある。

「そして、その後に続く十六夜。以下の月々。とろりとした月下の海の羊羹のようなうねりの中では、あのように海水を巻き込む渦巻が巻いていている個所がある。その渦に知らず知らず吸い寄せられていくような、そしてその渦潮の一番外側の土手の頂点に乗ってその次に来る傾斜にすべり巻き込まれる時のくらくらした三半規管がどうかしてしまうめくるめき、それが非常に誘惑的に浜小根に印象されていることを思った。そんな渦潮に普段は気がつかない」小説最終部

 この羊羹のような風景は島尾の小説には何度も出てくる風景である。島尾がミホを連れて東京から奄美に戻るときにもこの風景は洋上の船からの状況として懐かしく現われる。そのようにして、島尾敏雄は<異和>から地球を裏返すような小説の航海に出ることができる。

「大海原のただ中に一個の人智の限界が翻弄され、大きな揺れが彼女の肉体に響いてくると、妻は言いようのない陶酔を覚えるようであった。その場合私の方は多少船酔いのために悩んでいる方がよかったようだ。すると妻は私を介抱し始めたのだ。(中略))私たちは明らかに異なった圏内に踏み込んだことを知らないわけにはいかない。それはからだ全体が(或いはこころをゆさぶりかねぬほど)一種の違和の感じでしびれて来た。違和と言っても不快というのではなく、新しい場所に出て行くための晦冥の中のめくるめき酔いの気分に近く、いわば私らは脱皮したのであった。すでに私たちの選びとった大洋の中の離れに島である小さな奄美大島が急速度に眼の前に大写しになって来た」「妻への祈り」「婦人公論」1956年40歳時 これらはまさに狂う島への接近である。

作品:夜の匂い<異和>と<夢>と<予言>

 に島尾は夢の中に予言を埋め込みようになる。<異和>は<夢>を生み<夢>は<予言>めいてくる。

 こげた色の戦争があり、ニワトリを焼いたような臭いを放ちながらアメリカ兵の死体が開かぬパラシュートを機体にからませて落ちてくる。これが島尾敏雄が見た唯一の戦死体かもしれない。このような敵機の墜落からはじまる「夜の匂い」(1952年4月に「群像」に35歳時に発表された)作品では戦争期の<行き違い>に翻弄され、ついには戦局の行き違いのまま終戦を迎える島尾の<異和>が綴られている。それら行き違いの最高のことは死ななかった戦後ということになるだろう。しかし、それらの行き違いが消えるとそれを最後に書けなくなるわけではない。小説は事件によって展開することもあるが、もし日常が動かずに<異和>に沈んだら、動かぬ日常を夢に溶かして現実の偶然のごとく夢のごとく書くことができる。

 小説「夜の匂い」は後半においてミホとの関係を怪しく予言する形になってゆく。

「木滋は二人の女の方を見た。背中にランプの明かりを受けて立った二人の女性の四本の足がレントゲン写真のようにすけて見えた。理恵の二本の足がやせて細く見えた。それは理恵には気付かないことであった。桂子を負ぶって歩き出すと理恵が縁側からはだしで庭先にとびおりて、ぽっと白くほの浮いている浜木綿の群れのぽきぽき折って木滋への贈り物にした。桂子を負ぶって木滋の手はふさがっているので、それは桂子が持つことにした。 (中略)

木滋は理恵の不吉な狂乱の姿を妄想した。ユタ神に疲れた理恵が髪ふり乱して夜の浜辺を疾走しているように思えた」

理恵は小学校の先生で桂子はその生徒という状況設定である。おそらく、作家は恋愛対象の位相をっとい過去にまでさかのぼって見極めようとしたのだろう。舞台は奄美であり、東京での修羅場はとっくに過ぎ去った過去であるにもかかわらず、奄美の時代に戻って将来を予言する。なぜなら小説の時間設定では時間を飛び越えることができるからである。この小説をノンフィクションとして読むとおかしなことになる。フィクションだから結果の分かっていることを<小説の今>として書くこともできるのだ。<小説の今>は<現実の今>とは違うのである。予言が過去にさかのぼってなされるのは、現実ではない虚構の証拠である。

作品:月暈<存在>の<いきちがい>
 予言的作品「月暈」は目立つことなく潜んでいる。これは「死の棘」の<恋愛地獄>の作品を暗示的に予告しているといわれている。

虚構の地上では天変地異が起こっている。
「おそらくSのせっかち身勝手の欲望からしつこくZ夫人に求め過ぎていることになっているので、Sの環境にそれだけの条件が熟していても、Z夫人の側では他人ごとであることは充分考えられる。
              (中略)
所詮禁止の林檎を食ってはまり込んだ意識の沼にあがいている人間の皮膚の繊細さが、もうどんなショックもその本来の強さが感じられずに、いつまでももの足りぬ弱さとしてしか感じられない。

            (中略)
色彩もあると思えばありないと思えば、ない。その花にも色が付いていたが、それを言い現わすことは出来ない。そこにひょろっと小さな花が咲いていたことはSの心をやわらげる。金属的に堅く傾いている気持ちにほんのり生気を吹き込まれて、Sは思わず闇の中で微笑んだ。Sは両の掌でその花を囲うようにし、しかしその花びらにも茎にも手をふれずに、頬を掌で囲んだ花の方にすりよせるようにした。血の気を失い透き徹った皮膚の感じのその花びらに淡い匂いがあり唇を開いて待つようにも見える」

この文章は読む者の品格を映し出す鏡のようである。これをもって同人誌の仲間の淡い恋心と見るのか、不倫の証拠と見るのか?

この部分を吉本隆明が読み飛ばしていることには意味があると思う。ここには涙を落したことの意味のわからなかった<在のいきちがい>があったのだ。「品定め」1950年1月「近代文学」

月暈(げつうん)とは淡い月の周りにできるフレアーのことらしい。島尾はそれをこの小説で象徴的に掌の動きで現わしている。同人誌の中の恋が淡い恋かもしれないし片思いの恋かもしれない。死の棘との関係が面白い。

作品:夢屑<生と死>の<いきちがい>1985年3月短編集68歳時(死ぬ前の年)

「私は撃たれてひっくり返った。おかしなきもちだが痛みはない。なお飽き足らぬと見た敵兵の一人が、剣で私の顔を剥ぎ、肺や心臓も摘出して解体したのだ。顔や内臓のない血だらけの死体の私は川に投げ込まれた。流れにつれ川は次第に大きくなり、私は岸にいた一人の男の方に流れ寄って行った。こんなおどろの姿ではきっと男は肝をつぶすにちがいないと思えたのに、持っていた竿で私を引き寄せようとするではないか。肥やしにするには汚いものほどいいなどと言っているのだ。私は上手くすり抜けて男の竿をのがれ、広い海に漂い出た」

ここには、さまざまな<いきちがい>の悲しみがある。まずは、何も相手に危害を加えようとしていないのに、軽々と殺されてしまう的と自分と相手との心の<いきちがい>。これだけで何と悲しいことか!

これは、愛するものと愛されるものとの<くいきちがい>の逆だ。憎む者と憎まれるものとのこころの<いきちがい>。殺すものと殺されるものとのこころのくいちがい>そしてさらに悲しいのは死んでゆく自分とそれを見ている自分との<いきちがい>死んでいく自分とそれを見届ける分裂したもう一人の自分との<いきちがい> それらすべての<いきちがい>を何層にも重ねて、書く自分と書かれる自分が自己分裂してゆく小説家島尾敏雄の<くいちがいの>悲しみ。死にゆく悲しみを抱えた人間の人生は泡沫のインテルメッツォにすぎない。総ては最後に行き違うのだ。<私>は身体を持たない所在ないひとつの「眼」になっていきちがい宙をさまよう「悲しみ」なのだ。

2017年10月21日「神戸文学館」


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# by glykeria | 2017-10-21 11:28 | Comments(0)

10月21日は神戸文学館で島尾敏雄のシンポジュームがあります。


島尾敏雄は第二次世界大戦中の南島における特攻艇隊長としての体験を描いた「出発は遂に訪れず」や夫婦愛の修羅場を描いた「死の棘」の作家であるが、その表現の宿命的な資質の根源を書ききった基盤は神戸時代の創作活動にあった。

1925年から1936年までの多感な青年期と1945年から1952年の大学講師時代7年間のをあわせた18年間を神戸で過ごしている。

その間に挟まれる戦争末期に学徒出陣の特攻隊長として奄美群島で一年過ごした体験はその後の彼の生涯を決定づけたことは確かだ。しかし作家活動の基盤を決定づけたのは神戸時代の18年間であり、その後の東京の生活は修羅場の3年間となった。

「夢の部分の研究」といわれる夢の形で内部世界を象徴主義的かつ超現実的に詩のごとく描き出す島尾敏雄独特の詩的小説の世界は18年間の神戸生活を経て3年間の東京時代に頂点を迎えることになる。その詩的小説の主な舞台となるのは奄美群島と並んで神戸の自然と街並みである。神戸の山に登っても街を歩いても島尾敏雄の痕跡が自然と共に静かにわれわれを待っている。この夏、私は島尾敏雄の聖地ともいえる奄美群島の大島と加計呂麻島島を訪ねたが、そこでは島尾敏雄は神聖に祭られていた。このことは私にとってかなりショックなことであった。どうして神戸の人々は島尾敏雄のことを忘れているのだろう。さらにショックなことは島尾敏雄を知らない人がいることだ。奄美に行けば誰でも彼のことを知っている。それならば奄美と神戸を結ぶことによって島尾敏雄の世界を浮かび上がらせるべきだ。そこにはヤポネシアを提唱した島尾敏雄の世界観も見えてくるだろう。さらには、決して明るくはない山脈の深い闇に包まれた神戸の視点での神秘的な島尾敏雄の世界観も浮かび上がってくるだろうと思う。


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# by glykeria | 2017-10-19 12:29 | Comments(0)

加計呂麻島散策ツアー

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髙木敏克
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奄美大島の国道58号線を南に下り、キャンマ山のある岬を半分すぎると長く湿ったトンネルに入る。だらだらと下る闇の坂道は滑りやすく、ときどき路面を光らせてみせるが暗くて地下水道としか思えない。それに下り坂の傾斜がきつくてエンジンブレーキの音とともに地獄に墜ちて行く気分になった。この先にいったい何があるというのだ。

助手席の私は思わず足を突っ張って、床の上のカメラバッグを踏んでいた。

「もう海抜はゼロを過ぎているみたいですね」と私は聞いた。後ろで三人が笑った。

「まさか、でも、下り坂の勾配に気がつく人は少ないですよ」

とドライバーのKさんも笑った。

「湿度が異常に高くて山のカビの匂いがすごいですね」

「この車はエアコンが効かないんで」

「そのまま開けておいてください」

やっとの思いで深い穴から逃れ出ると、いきなり海が見えはじめて瀬戸内町にでた。何とも懐かしい名前の町だ。

「加計呂麻島が見えますよ」

とKさんが言った。後ろの席から作家のMさんが身を乗り出した。

内海をはさんで島のものか岬のものなのかわからない緑の影が見えた。

とうとう夢の中の日常にやってきた。島尾敏雄の小説の世界がそこに広がっているはずだ。

「ところで、奄美にはいつ入られたんですか」

とKさんは助手席の私に聞いた。

「私ですか。昨日七月七日の九時半に伊丹空港をたって、奄美空港でレンタカーを借りました。子供たちに囲まれたり木陰で団欒する家族を見たりしながら金曜日の午後を過ごしまして、昨夜は市民センターで海辺の生と死の映画をみましたよ。主演女優の満島ひかりさんと監督に会えました」

生真面目そうなKさんが何も言わないのでにんまりとして話をつづけることにした。

「奄美大島は予想以上に大きくて佐渡島の次の大きさだそうですね。マングローブの原生林や亜熱帯の山々を楽しむにはいくら時間があっても足りないですね。何度も車を降りては景色の中を歩き回わりました。何と言っても海岸の砂浜とそれにかぶさるように咲き乱れる花々のコントラストはすごい。そこがこの世の楽園だと言わんばかりに光を照り返していました。廃船や空き家まで明るい太陽に照らされていて、ふと気がつきましたよ。グレーも色の名前だということを」

「カメラマンですか?」とKさんが聞いた。

「ええ、アマチュアですが」と首が傾いだ。

「ところで、昨日の映画会はどうでしたか」

「海辺の生と死ですよね。カメラワークもよかったですね。女優の満島ひかりさんもよかった。特に島の方言がよかったですけどこちらの方なのですね」

「沖縄ですよ。彼女は」とMさんが言った。

「ところで、島尾敏雄とミホさんは兄妹みたいに顔が似ていますよね」と私が聞いた。

「顔とか言葉は東北と南西諸島は確かに似ていますよ。島尾敏雄さんもそのことは吉田満さんとの対談で言っていますよ」とKさんが答えた。Kさんはいったい何者だろう。全員がお互いに未知の文学関係者だった。

今踏みつけているのはKさんのカボチャなのか自分のカメラなのか確かめながら、この島にやってきた本当の理由を思いかえした。

島尾敏雄生誕百年記念祭が奄美大島であることについては、神戸新聞六月十六日の朝刊の記事で知った。私はそれを切り抜いてノートに挟み「NPO法人島尾敏雄顕彰会」に電話を入れて散策ツアーになんとか割り込ませてもらった。参加者は定員オーバーで、チャーターバスだけでは間に合わず、実行委員会のボランティアの皆さんがマイカーをくりだしてまで私たちを迎えてくださった。私はその一台に搭乗している。助手席にはKさんのカボチャと山菜が積まれていて踏みつぶしそうになった。カメラバッグはその上においた。

 同乗したのは五人で、その一人目は奄美のボランティアの運転手さん。彼はとても献身的に私たちの面倒を見てくれた。島尾文学にかなり憧憬が深く単なる読者ではないらしい。このツアーには謎めいた参加者が多い。二人目のМさんは熊本県の作家の前山光則さん。そして二人の文学少女と助手席の私だった。

この旅の目的は島尾敏雄の文学の出発点ともいえる加計呂麻島を訪ねていくつかの部落を歩き、島尾特攻隊長と島の娘ミホさんの物語を自分たちの足で辿ることだ。

神戸から参加したのは私だけなので「島尾敏雄は神戸の作家だ」と言い続けた。私は彼が目をつぶって書いたという神戸時代の夢のような小説が好きだ。最近はどうも私小説ばかりにスポットライトが当たっている。さらに私小説の皮をはがしてまで作家の人生を解剖するレポーターには共感できない。しかしながら以前から神戸からは見えにくい南の島の事情が気になっていた。どうしても埋めなければならないジグソーパズルの一部が抜け落ちていて島尾敏雄の顔が半分見えてこないからだ。やはりこの島の影は謎めいている。

五人の車が到着した瀬戸内町図書館には「島尾敏雄生誕百年記念事業」のポスターが大きく貼られていた。記念事業実行委員会の皆さんは一丸となって見事な運営をされていた。素晴らしい風景と人々がそこに広がっていた。

瀬戸内町の古仁屋港から十時に水上タクシーに乗り二十分ほどで対岸の加計呂麻島の押角に着いた。その水上タクシーというのは恐らく小型漁船を改造したもので定員は二十人ほどだ。その乗り降りには舳先と岸壁の間を飛び移らなければならなかった。時には舳先から砂浜に鉄の梯子が突き刺さり、それをコトコトと踏みながら下船することにもなった。    

だが、いったんアクセルを踏むとその船の性格は急変した。高速艇と改名してもよいほどのスピードで舟は浮くようにすいすいと走った。われわれは対岸に吸い寄せられた。

上陸するとすぐに押角集落の島尾ミホさんの生家跡を見て歩くことになった。島尾敏雄の息子さんの伸三さんの話は面白かった。その後の散策は砂と岩礁をめぐるトレッキングだった。砂の果てに特攻兵器「震洋」が格納されている壕が見えてきた。島尾敏雄によると穴の中の震洋は水冷式の航空エンジンを装備していて、爆音ばかりがやたらに高く速力はさほどでなかったらしい。今の水上タクシーの方が故障も少なく数倍高性能だということになる。小型のベニヤ板製のモーターボートにすぎない船首内部に炸薬を搭載し搭乗員が目標舟艇に体当たり攻撃をすることがすべてだ。六千隻以上の以上が作られたが、今はオーストラリアのシドニーにある戦争記念博物館に一隻だけ保管されているそうだ。でもどうしてオーストラリアにたどり着いたのだろう。おそらく戦後になって運び込まれたものだろうが、一人くらい脱走して亡命した特攻兵がいてもおかしくないと一人で笑った。

それにしても日本海軍はどうしてこんなに粗末な特攻船を作ったのだろう。おそらく制空権も組織的戦闘能力も喪失した状況では軍艦の補充など叶うわけがなかったのだろう。木造で間に合う小型舟艇の魚雷艇に藁にもすがる思いが託されたのかもしれない。つまり、こんなものしか作れなかったのだ。壕の中のレプリカも時間の風のような空白にさらされて何時か朽ち果てようとするのか。

太陽にさらされていると七日に見た「海辺の生と死」という島尾ミホさん原作の映画の一場面があたかも自分自身の記憶のように再現された。

島尾敏雄とミホさんはその先の「呑の浦」で密会していたそうだ。その辺りの海岸は二人の逢瀬の海岸とも呼ばれている。私たちはその恋路を追うように歩いた。途中満潮の時にはミホさんが胸まで海につかりながら島尾敏雄に会いに行ったという岬の鼻もあったが、今回は引き潮なので簡単に回り込めた。島尾ミホさんの姿はいつの間にか映画の主演女優の満島ひかりさんに塗り替えられていたが、この錯覚も悪いことではないように思えた。

私たちは何度も島尾敏雄と島尾ミホの魂に引き戻されていた。二人の魂は今でもその辺りにいて、ついには丘の上の文学碑までわれわれを誘ったようだ。

加計呂麻島の「諸鈍体験交流館」においては小栗康平監督の講演会と「死の棘」の上映会があった。講演会場は海に向かって大きく開かれた吹き抜けの会場で、風景は絵のように動くことなく百年前の風がまだ吹いていた。

 最後の夜はブッキングドットコムでとんでもなく遠い民宿を予約してしまった。予約してしばらくすると「ウミガメが上陸したから早くきてください」というメールが入ってきた。ところがレンタカーでいくら走っても辿りつかない距離で、新しい旅が始まった気分になった。

 旅は見果てぬ夢のように続いた。民宿はとてつもなく不便な西の端にあった。最果ての岬の村はウミガメの浜だった。たどり着いたころにはウミガメは産卵を終えて帰っていた。砂浜には小さな旗が産卵跡の周囲に立っておりそれを見守る人が何人かいた。民宿の奥さんの話によると、この辺りでは魚や家畜の料理は波打ち際でするらしい。昔は豚などの家畜も海水で洗いながら解体され、その時には子供たちも集められて死んでゆく豚を静かに見ていたそうだ。最後まで見終わると子供たちにもご褒美の肉が配られたらしい。流れ出る血液や内臓の匂いに魚たちが集まり、砂浜に乗り上げた大きな魚は手づかみで捕獲できたそうだ。今でも釣った魚は波打ち際で料理されて、捨てられる内臓に魚が群がるので次から次に魚がとれるらしい。そんな魚が翌日の朝食で出てきた。それも、どんぶりにたっぷりと出汁が出ていて食べきれない量だった。



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# by glykeria | 2017-10-02 15:15 | Comments(0)

装丁と言っても芸術作品

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出版コードはお陰様で無事に難なく届きました。
作品はある。印刷会社も有る。装丁だが、問題無し。
旧京都美術大学不合格だが、画家としては受験の採点者が私の才能に嫉妬したか?才能を見抜けなかったから、画家を一時的に断念させられただけだった。
装丁も自分でしたくて仕方がないから、チャンス到来だ(^^)v
昔から、出る才能は叩かれる!という諺の通りだ。
絵も詩も小説も叩かれて、冷鍛造が充分だ。
神戸文学賞で喧嘩した(*☻-☻*)
大阪文学学校で喧嘩した(*☻-☻*)
永末恵子とも喧嘩した(*☻-☻*)
されど、我が人生に悔いはなし(*☻-☻*)

航跡舎(^^)vバンザーイ(((o(*゚▽゚*)o)))♡
永末恵子(^^)vバンザーイ(((o(*゚▽゚*)o)))♡


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# by glykeria | 2017-05-19 13:36 | Comments(0)

出版社の不思議

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俳句やら短歌、それに現代詩となると出版費は高く、さらに小説を自費出版すると、とんでもない金額を請求されて売れない小説家は自殺に追い込まれる。
従って売れない作家は投稿に明け暮れるしかない。
そこで思いついたのは、自分で出版社を立ち上げて、作品を発表する。そうするしかないと思うのも無理はないだろう。そこまで踏ん切りがついたら、装丁と印刷代を考えるだけだ。
同人誌をやっている人なら、一度はそう考えたことがあるはずだ。意外と簡単な事だと思う。
数万円で出版社が出来たら、あとは出版費は30%くらいですむ。それから、幾らでも思いきり書くのが良いと思いますが、如何でしょうか??

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# by glykeria | 2017-05-16 15:36 | Comments(0)

永末恵子 第一句集「発色」第二版 上梓

昨年、俳人の妻が亡くなったので彼女の句集の第二版を出すことにしました。まず 永末恵子 第一句集の「発色」です。
第二版のあとがきは次のようにしました。300部出版しますので、1冊2500円×300冊=75万円の売り上げが出版社の目標です。俳句にご興味のある方、もしくはこれから俳句を始めようとされる方はメールをください。
binkokutakagi@gmail.com

第二版 あとがき 

...

「発色」は橋閒石氏に出会い「白燕」の同人となって二年目に第一句集として上梓された。
この句集が謎めいて見えるのは句集の中心にある筈の「発色」の句は果たしてどれかというとまどいのためであろう。

   冬の橋川上を見て渡りけり
   寒明けのたましい流れてこぬか

この句に発色のありかを求めて川上へと向かう物語を感じるのは私が小説を書いているからかもしれない。しかし、私には次の句が確かに発色してみえる。

   明恵の泣いていそうな梅明かり

明恵(みょうえ)は無欲無私清廉にして世俗権力権勢を恐るるところなしとしばしば超人的な学僧と評された。永末恵子はそのような明恵の苦悩と修行に自分を重ね合わせて(めいけい)とあえてルビを置いたと私は直感で推理する。その後の句は発光に照らされてはにかみに満ちている。
 
   狼狽やなまぬるくなる蝶の髭
   葱の花左右の鐘にうながされ

永末恵子は平成二十八年二月十九日の朝、冬服を二度ほど着替えて「どう?」と聞いた。
「そっちのほうがいい」というと、一度脱いだ服をもう一度着てにっこりと笑った。
それが私の見た彼女の最後の笑顔だった

二〇一七年四月二九日
                      高木敏克


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# by glykeria | 2017-05-05 06:10 | Comments(0)

永末恵子の句集【発色】が本日発売です。

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# by glykeria | 2017-04-29 11:00 | Comments(0)

綽名で呼ばれた場所

詩人の大西隆志氏の詩集「綽名で呼ばれていた場所」が実家の本棚から出てきました。
いや、懐かしいです。

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# by glykeria | 2017-02-16 14:57 | Comments(0)

創文社

生田耕作さんや橋閒石さんの著作物の印刷所として有名な創文社に行って来ました。記念に貴重なものを戴きま
した。
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永末恵子の句集【発色】の第2版が5月頃に出版される予定です。
【白燕】同人時代の貴重な句集で、現代詩から短歌へ、短歌から俳句への転換と飛躍について、橋閒石が綿密な序文を書いています。俳句序説とも言える句集であり俳句研究者必読の句集であると思われます。
出版社は航跡舎です。


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# by glykeria | 2017-02-13 17:18 | Comments(0)

シリア

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パルミュラ
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シリア・パルミュラ
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シリア・メンビシュ
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メンビシュ
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# by glykeria | 2017-02-11 17:48 | Comments(0)

イラン

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アビダビール


イラン・ササン朝ペルシャ
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イラン・アゼルバイジャン
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イラン・アルダビール



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# by glykeria | 2017-02-11 17:18 | Comments(0)

その後の高木敏克

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高木敏克
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高木敏克

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# by glykeria | 2017-02-08 22:20 | Comments(0)

高木敏克の青春時代

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高木敏克
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# by glykeria | 2017-02-07 21:46 | Comments(0)

シリア ヨルダン イスラエル

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高木敏克
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高木敏克
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# by glykeria | 2017-02-04 20:18 | Comments(0)

エルシャライム

高木敏克
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高木敏克
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# by glykeria | 2017-02-04 20:13 | Comments(0)

酒と薔薇の日々

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永末恵子
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高木敏克
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高木敏克
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高木敏克
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高木敏克
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# by glykeria | 2017-02-04 20:00 | Comments(0)

【白い迷路から】古本 最終在庫処分

航跡舎の本棚に【白い迷路から】が5冊だけ残っておりますが、売却させて戴きます。
購入ご希望の方は下記にご連絡下さい。
〒653-0827
神戸市長田区上池田3丁目18-7
航跡舎 代表者 高木敏克 迄
1冊1200円
郵便振替 または 振込銀行をご案内させて戴きます。
仕事ではないので、かえってお手間を取らせる事になると思いますが、宜しくお願い致します。
電話での対応は出来ません。本業中につき申し訳有りません。


高木敏克
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# by glykeria | 2017-02-01 13:47 | Comments(0)

神戸新聞文芸2016年間最優秀賞

2016年間最優秀賞は高木敏克の作品(( 神々の丘))に決定!
1月29日午後1時からハーバーランドの神戸新聞本社で授賞式がとりおこなわれました。

選者の楠見明彦さんの評価

最優秀賞に「神々の丘」(高木敏克)を推奨する。
エーゲ海の旅を想起する会話や、神戸の丘陵地帯での砂遊びの記憶が魅力的で、忘じ難い。
母を施設へ入居させるため神戸に戻った男。沸き出した砂遊びの思い出は鮮明で、なお五感にうったえる。
どことなく浮遊感のある会話は、実は亡き妻を偲んでいるのだと次第にわかってくる。
乾いた風と砂と光が、ゆくべき航路を標している。(神戸新聞2016年12月26日朝刊より転記)


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# by glykeria | 2017-01-12 12:38 | Comments(0)

小説 (白い迷路から)に登場するマリアーナは実在人物です。


高木敏克

大人になったマリアーナはその後みろす島に移った。
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高木敏克
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# by glykeria | 2017-01-07 21:05 | Comments(0)

小説(白い迷路から)に上陸するランチのキャプテンはいかにも海の男といった面構えでした。

ミコノス島へはピレウス港(アテネの港)からトルコ行きの定期便に乗り、途中でランチに乗り換えて上陸しました。
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ミノス島からデロス島には帆船で1時間足らずのクルージングでした。
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デロス島の風景です
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# by glykeria | 2017-01-07 21:03 | Comments(0)

マリアーナの家族。ヤーニー・セノスとセノス夫人。

ミノス島のマリアーナとお母さん。
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# by glykeria | 2017-01-07 21:00 | Comments(0)

高木敏克

永末恵子 高木敏克


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永末恵子 高木敏克
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高木敏克

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高木敏克
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高木敏克
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永末恵子 高木敏克

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永末恵子 高木敏克

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永末恵子
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織田年和 高木敏克 永末恵子 
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永末恵子

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高木敏克
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高木敏克
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高木敏克

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高木敏克

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高木敏克

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高木敏克
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高木敏克
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同人誌時代の高木敏克


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# by glykeria | 2017-01-07 20:02 | Comments(0)


高木敏克のブログです。


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