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高木敏克のブログです。


by alpaca

不思議な三つの風景

不思議な三つの風景

                              高木敏克

浮森

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君が死んでしまっているのに僕がまだ生きているということは、それだけで不思議な風景なのに、君はまた言った。

「不思議な風景ねえ」

三木市別所町の辺りを車で走っていると、五月なので田に水がはられていて、山際まで水鏡が鈍く光っていた。

「ねえ、山が水に浮かんでいるわ」

「ほんとだ、水面と山の間には確かに闇のすき間がある」

「ねえ、山がいま少し動いたわ。やっぱり山は水に浮かんでいるのね。わたし見てくる」

君は山に突き刺さる一本のあぜ道を足音もなく歩いてゆくと、闇のすき間に曲がりくねった小径をみつけたみたいだ。僕は君を追う。悪い癖だ。黙ってどこかに行ってしまう君の悪い癖だ。

柳田猫の目

君の住んでいるところは地名のないところなのに、君はまた言った。

「ねえ、今見た。不思議な地名ね」

能登半島の先端を目指していると、道は途中から真の闇に包まれていた。他には何も見えないのに、柳田猫の目という世界に一つしかない地名があらわれた。振り向いても闇の中には柳田猫の目がある。

私は年老いてあれが能登半島なのか丹後半島なのか、君が妻なのか恋人なのかわからなくなってきた。すべては闇に中に消えてゆくみたいだ。

「わたしは、ずっと恋人よ。柳田猫の目は丹後半島と能登半島の間にあるわ」

「ああ、わかったよ。君はそのあたりにいるんだね」

ケイタイが切れちまった。

狐塚

子供の頃、僕は真っ直ぐに窓の外を見ていた。谷は一見すべて人間に征服されているように見えたが、狐塚の周辺には僅かばかりの自然が残されており、名前のよく分からない黒い樹木が風に騒いでいた。それは透明な風に揺れているというよりは無数の黒い枝で何かを手招いているように見えた。突き抜けるような月夜の下では繁みは闇の怪物のように見えていた。山の木々が谷に向かって今にも襲いかかりそうな勢いで自分たちの子供を捜しているように見えた。そのため、谷がどんどんと大きくなり、僕もそれに釣られてどんどんと浮き上がってゆくのが分かった。自分というものがくっきりとした闇の塊になり、どんどん大きくなってゆく。僕は月明りの中で、はっとしてやがて恐怖のために震えだしたのです。生きるということは、耐えられないことだが、どんどんと大きくなってゆくことなのだ。体がどんどん大きくなり、まったく何の面白味もない領域に自分の生命がはみ出してゆく。勉強だとか仕事だとかいう、生命にとっては楽しみからかけ離れたところに、大人という存在の位置があるのだとすれば、大きくなることはなんて恐ろしいことだろうか?大人なんて夢を消す闇のようなものだ。そう思うと僕の身体は鉛のように重たくなって沈みそうになる。僕はそう言う夜には石のように小さくなって蒲団の中に潜り込んだものだ。その大きくなる恐怖に比べたら、何時までも小さなまま蒲団の中から出ないことの方がどんなに幸せだろうか?例えそのまま死んでしまうことがあっても、何もしないまま小さくなる方がどんなに幸せだろうと思うことがあったのです。そう思って僕はこの谷に帰ってきたのですが、でも、僕の生まれ育った当時の谷はもう埋まっていて、闇の中にしかないのです。帰ろうと思ってももう帰る所はないのです。僕の幼年期も少年期も時間の闇と空間の闇の中に埋め尽くされているのです。帰ってきても自分自身にさえもう会えないのです。


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by glykeria | 2018-05-28 07:15 | | Trackback | Comments(0)