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高木敏克のブログです。


by alpaca

高木敏克 小説集「港の構造」を読む 詩人 川岸則夫



禍々しくも鮮やかな暗箱の中で


高木敏克小説集「港の構造」を読む

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 川岸則夫

 高木敏克の「港の構造」は、十篇の小説が収められた、いわゆる短編集である。短編集と言っても各篇の長さはまちまちで、表題作「港の構造」そして「KAPPA」と「グリケリアの歌が聞こえる」の三篇は、むしろ中編とも言うべきものだ。この三篇で総三百ページ弱のこの本のおよそ三分の二を占める。他の七編は、例外的に四ページしかない掌篇「蓑虫靴店」以外は各十ページから二十ページ程度の短編である。


 さて、表題作「港の構造」は次のような主人公のセリフで幕が切って落とされる。


「僕は時々消えたくなる。しかし、死にたくはない。僕は政治的に隠れなくてはならない。大きなスクリーンをスウィッチ・オフする形で世界を消してしまいたいと思う」


 この導入部からもわかるように、この後、スウィッチ・オフされた世界が展開されてゆくのだろうとは容易に想像がつく。しかし、そのスウィッチ・オフされた世界とは、どのような構造をしているのか。その期待感を胸に、しばらくは消えてしまったスクリーンの裏側を巡る旅に出かけてみようではないか。光のない暗闇で、私たちの導き手となるのは、一体どんな種類の明かりなのだろうか。


 この小説は・「僕」と称する主人公が元町商店街を散歩するという静かな書き出しで始まる。主人公は商店街の露地に入ったところに、少し風変わりな不動産の広告を見つる。それは普通のワンルーム・マンションの広告だが、「照明なし」というのが異常だ。「僕」は、好奇心に駆られ、店に入ってゆく。


 ここは別世界、或いは異界への入口だ。主人公は一寸した好奇心から、足を踏み入れるのだが、彼を導いてくれるのが、不動産屋の案内嬢「智子」という女性だ。智子に連れられて、主人公が向かう先には、一体どのような世界が待ち受けているのか、それは思いがけない試練に満ちた世界かもしれない。主人公を待ち受けているのは、彼が二度と立ち直れなくなるような恐怖に満ちた世界、或いは過去からの亡霊かもしれない。そう、この物語は時間と空間が複雑に交差する世界なのだ。それがこの小説の「構造」だ。


 空間は自分の意志で何とか移動できるが、時間は過去も未来も己の意志の力だけではどうにもならない。現在でさえ、そうかもしれない。突然、悪夢や幻想や理解できない衝迫として、己に直面させられることになる。その意味ではこの作品は、時間が迷路を辿る物語と言った砲が適切かもしれない。


 例えば、不動産屋の「智子」が主人公に物件を案内する時のセリフ。


「あら、危ないですよ。そんなに奥に入ったら。アジトになる部屋ですから」


 この、主人公の秘密をすでに知っているかのような彼女の言葉にまるでみちびかれるかのように、その後に、主人公は昔の学生運動の仲間「山谷繁夫」の幻想の世界へと足を踏み入れ、輝かしくも忌まわしい記憶に直面させられることになるのだ。


「橋の向こうから一人の男が歩いてくるのが見える。だが、奇妙な歩き方をする男だ。少し歩いては立ち止まり、何かを確かめるように振り返っていた。人と橋は、水面に照り返されて浮き上がって見えた。橋の鉄骨は白く塗られていたが、ボルトの周りから血が滲んだように錆び始めている。まるで恐竜の背骨のようだ。男はたった一人夜景の中に浮かび上がり、橋を渡り終えてこちらに向かって歩いてきた。橋の下の海面は夜だというのに波が血のように赤く揺れ始めていた。


 見られる通り、現実と記憶のあわいを静かに歩み寄ってくる「山谷繁夫」の不気味な風体が、余分な形容を排した無機質な文章でうまくすくい上げられている。


 驚いた主人公は、窓を荒々しく閉めて、「山谷」を文字通り閉めだそうとするが、そんな主人公の思惑をよそに、今度は壁の中から現れようとするのだった。


 「僕」はもはや、「山谷」から逃れることはできない。「山谷」の記憶からも。いや、なぜ逃げようとしなければいけないのか。そもそも「山谷」とはいったい何者なのか。主人公は「山谷」に何を負い、何を償わなければならないのか、「山谷」は果たして存在しているのか。一度でもかつて存在したことがあったのか。


 確実に言えることは、ここから主人公ののっぴきならない地獄巡りが始まる、ということだ。地獄巡りといういいかたが適切でないなら、苦悩に満ちた何ともやりきれない旅、二度と戻れない過去への片道切符の旅、とでも言っておこう。


 でも主人公には「智子」という女性がいる。だが、果たして「智子」は、この無間の迷路から抜け出すための道標であるアリアドネ―の糸となりえるのであろうか。


「港の構造」は、商店街の露地に思いがけず踏み込んだとことから始まる主人公の一種の冒険譚としても読むことができるが、より内面で展開されるテーマは、思弁的、哲学的なものである。過日の学生運動家「山谷繁夫」との間に交わされる互いの感情、思念のやり取り、またそこから必然的にもたらされる「死」を巡る省察。これらは熟読に価するものだ。なお、ここでは詳しく触れないが、作者が「死」にこだわるのは、一つの大きな理由があるのである。これはこの小説全体を読み進めば追々分かってくるだろう。


 


 一方、割と気楽に、結構楽しく読めるのが、中編「KAPPA」である。題名から分かる通り、川に棲むという、あの河童にまつわる物語である。おおまかなストーリーと言えば、ある不幸を経験した主人公が、気晴らしに色々な温泉を旅し、あげくの果てにカッパの住む国にたどり着くというものである。


 これだけ聞くと、何やらスウィフトの「ガリヴァー旅行記」を連想させられるが、カッパの国に入るためには門番の厳しい検査を受けなければならない個所などは、むしろカフカの「審判」や「城」の世界だろうか。


 カッパの国に入ってから主人公が経験することになる様々な事件や出来事は、読んでのお楽しみだが、現在何故河童の世界が繁栄しているのかの理由を知ることや、人間になりたがっている河童の女(メス?)と主人公のやり取りの様子などを垣間見るのも楽しい。科学的な知識に裏打ちされた河童の生態の研究、或いは、河童が人間に、又人間が河童になるための手術の詳細など、ついついページをめくる手が速くなる。河童になることを希望した主人公の運命は、はてさて如何に?


 この小説は空想的要素と科学的要素がミックスした十九世紀から二十世紀にかけての、ジューヌ・ベルヌ、メアリー・シェリー、H・G・ウェルズなどの古き良き時代の小説群を思い起こさせてくれる。が、同時にいかにも現代の幻想小説にふさわしく、結構辛辣な文明批評もあり、この作者独特のブラック・ユーモアにも満ちていて、リーダビリティの良い、それでいてふと立ち止まってちょっと考えさせられる一篇となっている。



 中編のもう一つ「グリケリアの歌がきこえる」は、ギリシャのアテネやミコノス島を中心に、現地を旅する日本人の主人公と一寸陰のある流れ者らしい一家との交流を描いた一種の旅行小説といえようか。その家族はある秘密を抱えているのだった。現実とも夢ともつかない彼らとの交流の中で、とうとう一家に破滅的な出来事が起こってしまう。「僕」はついに精神に異常を感じ・・・・・。


 この小説は海外を舞台にしたいわゆる旅情小説としても読めるが、この作者の事である、そんな甘っちょろいロマンチシズムはない。ここに詳述することは避けるが、扱っているテーマはなかなかハードなものだ。このテーマを作者は比較的軽妙に捌いているので、割と抵抗なく作品の世界に入ってゆけるが、作品世界は展開が速く、又もや夢の世界あり、ほのめかしあり、急なストーリーの飛躍ありで、少しも目が離せない。だが、この物語の最後の方の主人公の独白、



 それから、僕の記憶は少し飛んでいる。なにかよっぽどひどいことがあったのだ。そういう場合には僕の脳は世界のスウィッチを簡単に切ってしまうのだ。この空白というものは恐ろしい。サヨナラの向こうにあるのはこの空白だということに気付いている人はあまりいない。悲しみというものはこういうことだ。空に真っ黒な空洞があいたような寂しさは死んでみないとわからないことかもしれない。でもそのような悲しみがあるということは生きていても分かる。死者を見ているとその悲しみが伝わってくる。


 などは、主人公と共に読者を充分思索的にさせる。この後、ストーリー的に更にもうひとひねりあるのだが。ちなみに「グリケリアの歌がきこえる」の「グリケリア」はギリシャで絶大な人気を誇る歌姫だそうである。そんな旅人の心に滲み歌唱なのだろうか。調べてみると彼女はグレゴリア聖歌隊に所属していたらしい。歌姫の名前の由来はそこから来たものと思われる。


 さて、短編はと言えば、巻頭を飾る「神々の丘」は十ページほどのものであるが、その内容は濃く、なかなかの好篇である。初老の夫婦の物語であるが、注意深く読まないと内容を取り損ねてしまう。この作品集の中では、前出の「グリケリアの歌がきこえる」以上に、そのさりげない筆致の中に、しみじみとした情感の汲み取れる好篇である。


「記憶の森」「水夫長のドア」は主人公の家族にまつわる話で、特に「水夫長のドア」は水夫長をしていた主人公の祖父が海難事故に会う場面の描写が恐い位の、なんとも迫力に満ちた佳篇だ。


 「海岸鉄道」と、「蓑虫靴店」それに「心臓の島」は、「港の構造」の補足的な作品であるともいえるが、特に「海岸鉄道」は独立した短篇としてもおもしろく読める。主人公が離婚した妻と十年振りに再会する話であるが、登場するキャラクターが楽しい。元の妻と一緒についてきたと思われる「闇男」、二人の子供かと思われる何故か猫のきぐるみを着た少年、この少年は「青猫少年」と主人公に名付けられ(途中、主人公はこの少年は自分の子ではないかと疑ったりもするのだが)、あろうことか話の最後の方で本当の猫になり、チェシャ猫のようにシートの上から消えてしまうのだ。


 その他、この小説には砂時計とデジタル時計が合体した奇妙な時計や、文字が一面に埋められた森など様々なシュールな形象があふれている。なんだか「オズの魔法使い」のような世界だ。この小説も「死」を扱っている割には、奇妙な明るさに満ちている。


 「天窓」は主人公の少年時代に題材を取ったもの。天窓のある秘密の部屋。その中でどのようなエキサイティングなドラマが展開されるのか。いずれにしろ「港の構造」の作者のこと、一筋縄ではいくはずがない。これも、読んでみてのお楽しみとしてもらおう。 


 小説集『港の構造』は、恐いもの、悲しいもの、楽しいもの、そしてしみじみとしたものなど、人間の感情や思想がギッシリ詰め込まれた、だが、容易には開けることのできないブラック・ボックスのようなものだ。そこでは、空間と時間が奇妙に交ざりあい、歪みあう。感情や思想の名の付いた様々な道具で、そこで熱心に遊んでいるのは、案外読者であるあなたかもしれない。

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by glykeria | 2018-09-11 16:52 | エッセイ | Trackback | Comments(0)